夜が好きだという話をします

前回の記事、絶対受け悪いよなぁと思いつつ公開した割にちょこちょこ反応くださって嬉しいです。


オリオン座を探すのが癖になっている。

最寄り駅から実家までの道が好きだった。
帰宅ラッシュを過ぎると人は減り、いても自分とあと2人。
およそ20分、程よい街灯に程よい静けさ。
高い建物も少なく、なんとなく見上げるとオリオン座が見える。

月だって好きだけど、月は必ず見つかる安心感があるのに比べ、オリオン座は自分から探しにいく要素が大きいからか、そこには少しのワクワクがある。

見つけたからなんだ、ということはない。
宇宙から見たら私たちなんてちっぽけな…なんて言うつもりもないけど、それでもオリオン座を探すことで自分を再度地に着かせるような、相対的な捉え方をしているのかもしれない。

高校のとき照明をやって得た大きなもののひとつは、目に入るものは光の反射によって認識されるのだ、という理科で学んだ内容を、身をもって体感できたことだと思う。

それはつまり、光を当てないことでそのものの存在を消すことができるということであると同時に、ものに反射した光が目に入った瞬間に否応なくものの存在が現れるということでもある。

昼、日光が満遍なく降り注ぐシチュエーションはまさにこれで、どうしたってある程度は光が目に飛び込んできてしまうのだ。

自分には視覚偏重のきらいがあるのでそのまま光をものと受け取ってしまいがちなのだけど、果たしてそれは本当にものを認識しているのか、と感じるときはある。
むしろ夜、光に晒されない密やかな世界の方が、そのもの自体に触れられるのではないか。そこまでいかずとも、光によって与えられた情報以外の別の顔を覗かせているのではないか。

夜のイメージとしては、固有物たちの軽やかな沈殿。
天と地が分かたれ、地にいる私の、オリオン座との隔絶と共犯。
沈黙を守る街の中でひとり、歩く自分の遊泳感。
自分が見るもの、認識しようとするものを集中力をもって認識する、静謐な感覚。

安全地帯を確保しているからこその感覚なのかもしれないけど、こうした夜の環境は心地よく、何にも代えがたいと思う。

この感覚はサカナクションのどこかのレイヤーに存在すると思っているので、ちゃんと書けるときがきたら書きたいなぁ。